人と人とは分かりあえるって、ニュータイプ同士ですら分かりあえてないような・・・
なんか直感やらが冴えるようになり、よくはわからないですが思念的なもので、心と心の深層での会話をしたり。
心でぶつかれば本音で語れば互いの思いが理解しあえる可能性がある、のかないのか。
でも結局肝心なとこで分かりあえてない感が否めないので撃つ必要のない人が撃たれたり、なかなかうまくいきませんね。
「ガンダムダブルオー」という作品があります。
主人公は武力を持って戦って戦争をなくす。
ヒロインは武力を使わず対話で戦争をなくす。
主人公、刹那は戦いの中でこれまた新人類「イノベイター」に覚醒します。
彼は戦いの中で自分ののるガンダムが持つライザーシステムを使うことで、周辺の領域を光の粒子でみたし、その中で、思いがすれ違っていたもの、口にして言ってもらえず分かりあえなかったこと、それらの仲介をする力を放ちました。
はっきりいって「ニュータイプ同士の思念の会話」よりとてもダイレクトに人々を結びつける力だったと私は思います。
劇場版最後の主人公とヒロインの会話、互いにすれ違ってきた二人が最後に出た結論はジーンとくるものがありました。私だけかな?
しかし、現実世界はもう悲しい。
善意で相手を信じてバカを見る。相手を信じるということ自体がまず正しいことなのかもよくわからない世界です。
私は良くカモにされるタイプでした。
悪意というのは間違いなく世界のいたるところに存在します。
私の中にも、表に出す事はないであろう悪意が潜んでいるでしょう。
子供ながらに悪人より善人の方が多く、話し合えばわかりあえるという思想がなぜか植え付いていました。
しかしわかりあうなんて、しんどいだけで、ちゃんと分かりあえることなどあるものでしょうか・・・
the pillowsが歌っています
「歩み寄るべきだなんて思わないだろう?探してるものは僕らの中で騒いでる」
歌詞に込めた意味は私が感じたモノとは違うでしょうが、私はなんだかこの詩に妙に引き込まれました。
動くゴールポストといつまで遊んでんだ、歩み寄っても悲しみ苦しみが増えるだけ・・・
なんでこんな世界になってしまったんだろう。
学生の頃はもっとましだった気がする。
今はあらゆるものに悪意を感じ、必要以上に他人と関わらぬようにしないと巻き込まれてしまう。
悲しいもんだねー